Go for and back to 70's

70年代の若かりし頃に帰る心持ちで先の70を目指す

2018-02-12-Mon-20:21

不在の神への祈り

毎日寒いですね。こう寒いとほんとに疲れますね。
ここ須磨は比較的暖かいのですが、今年は違う。晴れていてもベランダから海を眺めると白波が立ってて風が強いのがわかる。風が強いと体感温度がぐっと低くなって常に−0℃という日々が続いている現状。

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晴れているけど雪花が散っている午後

昨日は教会でほぼ一日外出したので今日はどこへも行く気にならず。
先日買った本『寅さんとイエス』を読み終えました。

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フーテンの寅さんとキリスト・イエスに現れる愛についてユーモアも交えながら比較考察していて、そう難解な宗教書じゃなくて、楽しみながら、且つ真面目に考えさせられる本でした。少し、いろんなことを盛り込み過ぎかな、という所はありましたが、タイトル買いした本としてはキリスト者じゃなくてもキリスト教の真髄がわかりやすく書いてあって良いのではないかと思いました。

この本の中で少し引用されていたフランスの思想家シモーヌ・ヴェイユのところがとても印象に残ったので書いておきます。

 シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』と題する書の中に珠玉のような言葉がちりばめられている。その中に《時間を捨て去ること》という項目があり、「清められるための一つの方法。神に祈ること。それも人に知られぬようにひそかに祈るというだけでなく、神は存在しないと思いつつ祈る」という言葉がある。マタイ福音書6章6節に「祈るときは奥まった部屋に入り、扉を閉め、隠れてまします神に祈れ」とあり、従って「人知れずひそかに」祈ることは聖書に書かれているのだが、問題は「神は存在しないと思いつつ」祈るというひと言である。これ、まさに不在の神への祈りである。

不条理のただ中で神に祈る「神よ、あなたはいったいどこにおられるのか」どんなに問うても神はただ沈黙している。これ当に、遠藤周作の『沈黙』ですね。 また、イエスが十字架上で断末魔の中で叫ぶ「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのか!」という叫びと共通するものである。

そのままイエスが死んでしまえばほんとに神は不在となるが、そのイエスを神は復活させたのである。ここに救いがある。

また、フランスのユダヤ人哲学者 レヴィナスはこう言っている。

 神はまるで存在しないかのごとく姿を隠しながら、悪人にも善人にも陽を降らせ、一つ一つの、一人一人のかけがえのない存在に花を咲かせる。
 その神に我々は気づかない。しかし、神の不在は、我々が他者のまなざしから逃げることに存する。神は餓えた者、渇いた者、社会から排除された者、病いで苦しんでいる者、犯罪者のレッテルを貼られた者を通して顕われる。


本当にどうしようもない苦境に立った時に神は共にいてくださるということをレヴィナスは教えてくれてるのではないでしょうか。振り返れば「あー、あの時に神は共にいてくれたんだ!」と思えるような出来事が、人生長く生きていると、一つや二つあるのではないでしょうか。


世界が平和でありますように

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